手のかかる子、手のかからない子って何が違うんだろう~?
生まれ持ったもの?それとも環境や相性?
いえいえ、
結論から書くと手のかからない子どもはいないんですよね。
手のかかる子、手のかからない子
手のかかる、かからない、その明確な定義って?
そもそも人間は他の動物より1年早く、未熟な状態で産まれてくるそうです。
そう聞くと手がかかる生き物であることは間違いないといえますよね。
この世界中の人々が、誰一人として例外なく、他者の支えによって大きくなっているわけです。
放置では絶対に成長することができません。
だから人は誰しももれなく手がかかるという事を、大きな視点でみれば、そりゃそうだとなるわけです。
でも実際に子育ての現場では
寝つきが悪いとか
癇癪がひどいとか
さらに特性のあるお子さんの子育てとなると尚更
子育てをしんどくさせる「手のかかる」原因は色々あるのが現実です。
隣のあの子は手がかからなそうだな~と思えても
強い偏食を持っていたり、人それぞれどんな苦労があるかもわかりません。
表にみえる姿はほんの一部ですから。
悩みなんてなさそうなあの親子も日々、試行錯誤しています。
もっと言うと子育てに関わらずどんなに成功している人でも生きていく上で壁は出てくるものです。
とはいっても、なんだかとっても楽そうに育児している人もいますよね?
手がかからない子がいるとしたら?
たまたま寝つきが良くて楽できたとか。
協力者がたくさんいる環境とか。
あるいは今は手がかからずに落ち着いていたとしても、子育てという長い年月の中で、年齢と共にどうなっていくか先は分かりませんよね。
それぞれ色んな状況があると思います。
でもね、そもそも
手のかかる子
手のかからない子って…
その思考はある罠があるから危険なんです。
受け取る力
物事の受け取り方はみーーんな違ってみんな良い。
・・・はずなんだけど
たとえばお昼寝が細切れ30分の赤ちゃんに対して
まとまって寝てくれない、この子はなんて手がかかる・・・
と思うか
30分休憩を細切れにもらえるからありがたいわ~なんて手のかからない子なの!
と思うか
別にどちらが良いとか悪いとかではないんですよ。
手のかかるって思った人は困ってるんです
手のかからないって思った人は困っていないんです
ただそれだけのことなんですよね。
どう思うかは自由なんですよね。
困るかどうかも人それぞれ。
ここまでは問題ないんです。
ただし、やっちゃいけないことが2つあります。
比較とジャッジ
うちの子、手がかかるんだって他と比べてしまうことは良くありません。
そのジャッジは必要ないはずなんです。
どこの誰と比べて、手がかかると思っているのか?
比較して良い事なんてないんですよね。
自分にとっても我が子にとっても、他がどうであるかという「他人軸」に生きてしまうと人生そのものが苦しくなります。
自分を攻撃する思考が、当たり前に染みついている日本人は特に注意していかなければなりません。
周りと同じでなければならない
人に迷惑をかけたらいけない
ひとりでなんとかしなきゃいけない
些細な事でも自分を全否定してしまう
あーやっぱり私ってだめだ
あーだからこの子はここがだめなんだ
そう、ダメなところ探しが上手な日本人が多いです。
問題との向き合い方が下手なところがありまよ。
これは教育というかそういう義務感を受けて育ったからです。
こうでなければならないというレッテルが常に付きまとっている感じです。
だから他に矢印を向けるのではなく、まず自分に矢印を向けて問てみましょう
あなたはどう思うの?
それでどうしたいの?
自分には自由と権利があることを思い出してください。
矢印が自分に向き始めると、自然と物事を大局観で見ることができたり、他人軸に振り回されずに済むようになります。
そして問題は目をつむったほうが良いもの、向き合った方がいいもの、
銃弾を避けるように、よけた方がいいものさまざまです。
子育てにおいては元々のキャパによって手のかかると感じる度合いもかわるとは思いますが
どんな親子でもうまくいかない場面はたくさんあるし、0か100では育児はできません。
ですが、苦しくなってるお母さんに共通していえることは
素晴らしいお母さんだってことです。
子どもと向きあってるからこそ色んな感情が湧きあがるんですもんね。
正解もなく、そんな世界が続くのが育児。
その中で笑顔でたのしく過ごしたいな・・・そうした思いもみんな同じです。
では、いつもイライラした子育てなのか、穏やかで楽しみながらの子育てなのかは、親が悪いわけでも子が悪いわけでもなく単純に手のかけ方や方向性を知らないために違っているだけなんですね
親子でメントレをしていくと、これまでに考えられなかったようなことが実現していきますよ。
「学び」が必要だということを「学べない」
大人になった途端に勉強しなくなる大人たちが非常に多いんですよね。
大人になったからといって全てを知り、上手くやれるようになるということはありえませんよね。
勉強や運動は本来、学んで終わりではなく、成長するために謙虚に学び続ける必要があると思います。
教育とは本来、生涯にわたり「学ぶこと」や「運動すること」が楽しいことだということを経験させてあげるものだと思います。
でも今の日本の教育はそうなっていません。
生涯に渡って学んだり、運動を「続ける力」を得るための教育をしている国もあります。
教育のスタイルや方針は、時代と共に変わりつつあります。
育児も同じです。
まず自分が育ってきた狭い情報だけで手探りで始めて、それが全てだと思うから時に苦しくなってしまうのです。
実際に、子育てにおいて、学んで成長しようと前のめりで行動できるかたがどれくらいいるでしょうか?
大半は壁にぶつかって嘆いて愚痴って時に人にあたって終わりではないでしょうか?
極論それでもいいのです。次に向けて1つでも学びを得られればいいと思います。
親が輝きだすと子どもは親のように輝いて育っていきます。
充実した人生が送れかどうかは「学びを得る力」にかかっています。
それくらいインパクトがある「学び」
ここを読んでる方は間違いなく「学び欲」がしっかりある方だと思います。
学ぶ力さえあれば、これからいくらでも変化していきますよ
自分がどうありたいか?
結局は
イライラが常態化し、支配する気持ちにブレーキがかけられない。
こうあるべきの気持ちが強くなってしまう
子どもの姿に困り果てて、なんて手のかかる子なの! となって抜け出せない
あるいは
子どもの特性を学び理解し、援助でも支配でもなく支援を重ねる
ありのままを受け入れた状態で手のかからない子になるように、”手をかけていく!”
ちょっとした方向転換や気付きで、あなたが変わります。
そうすると子どもは見違えるようになります。
本当に一人ひとり子どもは違う、兄弟でも違う。
ですが、スタート地点は同じです。
どんな子でも手をかけてもらいながら満たされたとき羽ばたいていきます。
子どもたちには無限の可能性が溢れています。
育児関連の研究が科学や経済学を用いて進み多くのことが一般的に知れ渡るようになってきています。
世界的な教育課題となりつつある「非認知能力」であったり 自己肯定感の高め方、これらがいかに人生での幸福感を手に入れるかは海外の多様な実験でも解き明かされつつあります。
育児は勉強したほうが、精神的にはずいぶんと楽にいく事が多いです。
これは生きる力ではないでしょうか?
子どもにたいしても、勉強ができるとか、将来お金を得るためにとか以前に、
自分に自信を持ち、自己肯定や自己効力や幸福感や仲間を得られるような土台作りが何より大切ではないでしょうか?
ただ育児書をそのまま実行しても参考にならないどころか時として苦しむ方も多くいます。
ですが学んで辛くなったという人は、学ぶこと自体が間違っているのではなく
学びに対するメンタルや思考法そのものを見直したほうが良いという合図だと思います。
手のかかる育児です
大切なのは養育する側の、精神面や金銭的余裕、そういった環境を整える事が優先すべきことだとも思います。
親も失敗しながら学びます。
壁にあたったときは次のステージに手招きされているステージアップのチャンスです。
一歩一歩あなた自身が成長できることを決して忘れないでくださいね。
では、また!